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リスバカ日誌2

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エゾリス、ナキウサギ、野鳥などの写真で綴る移住者の日記

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3・11から1年

昨日あたりから、東日本大震災の番組が増えてきた。NHKは先週からずっと放送している。
NHKの昨日のドキュメンタリーはヘンに感動させようとか作ってない分心にしみた。民放は
ドキュメンタリードラマでも作りたいのかというほど演出があって辟易する。

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このブログでは書いてなかったけれど、私は昨年3月11日、東京にいた。
3月12日にイベントを運営する仕事があり、本来は当日に行けば十分だったのだが、展示会
が東京で行われていることを知り、前日に東京入りして勉強も兼ねようと思っていた。

上司は11日の夕方東京入りする予定だった。私は単独で東京にいた。





14時46分。最初は気づいてなかった。揺れが小さかったから。
ミシミシと会場全体が音したときも、「風が強いのか」と思っていたほどだ。

ところが、目に見えて地面が揺れ出し、会場の天井が大きく揺れ出すと会場内が騒然となった。
誰からともなく、会場の外に逃げようと人が出口に殺到した。

私も逃げたが、天井を用心しながら逃げたことは言うまでもない。
実際、天井から物が落下して頭が血まみれになっていたサラリーマンを避難時に目撃している。

外に出ても揺れが大きくて心底恐ろしかった。揺れ幅が大きかったからだ。荷物搬入用の大型
トラックのサスペンションがミシミシと音を立ててトランポリンのように大きく動いている。

揺れはいつまでも続いたように思えた。しばらくすると、逃げた人たちはみな携帯の画面に釘付け。
そう、地震情報などを見つめていた。ワンセグ見ている人も。
私は気が動転して、手元のiPhoneをいじくる余裕もなくしていた。

「えーっ、宮城で震度7だってよ」とiPhoneをいじっていたサラリーマンの一人が叫ぶ。
私もその声に釣られてその画面をのぞき込むと、宮城県沖で巨大地震が起きたことがわかった。
M7.9。正直遠い宮城県沖のM7.9の地震でどうしてこんなに東京湾が揺れたのか理解できなかった。

まあ、M9.0とわかったのは数日後だからね。当日は何が起きたのか、どうしたらいいのかわからず
混乱した。ただ。翌日のイベントはたぶん中止だろうな、ということは直感した。

「火事だぞ」という声でふと見上げると、黒い煙が上がっていた。近いのか遠いのかもわからない。
後から数キロ離れた高層ビルの火災だとわかった。それが最初の写真。

そんな間にも大きな余震が何回かあり、「こりゃダメだ」と思った。
会社の上司に「この分じゃ明日のイベントダメかもしれません」とメールすると、「いや、俺も千歳で
飛行機が飛ばないということで足止めされてる」と返事が。

こりゃいよいよやばいな、と思った。
度重なる余震の後、ようやく展示会も中止決定のアナウンス。

しかし、公共交通機関はすべてストップしており、どこに行ったらいいのかわからない。
もちろん、避難指示など一切なし。しかし、このとき東京湾には大津波警報が出ていた。
とりあえず、食料を、と思うが既にコンビニは長蛇の列ができていた。

こういうとき1人は不利だ。まわりを見ると、会社の同僚同士コンビニで買い占めをやっている。
私は近くのホテルが避難を受け入れてくるので入ったが、そこのコンビニでも食料はロクなもの
が買えなかった。弁当は既になく、パンもない。ミネラルウォーターも売り切れ。お茶もない。ある
のはスポーツドリンクとお菓子やおつまみだけ。仕方なくお菓子とスポーツドリンクを買って夕食
代わりにした。

ところが、ホテルの中にあるマクドナルドがハンバーガーを販売していたのだ。
最初通りかかったときは「今日は営業を中止します」と張り紙がしてあった。しかし、コンビニから
帰る頃にはその張り紙があるのに外に人が並んでいた。

そして、ホテルの寒い廊下でお菓子を食べていると、ハンバーガーのいい匂いが。
そう、ここも同僚数人が集まって食料を購入していたのだ。腹が立ってマクドナルドまで行ったが、
「すいません。今日は営業を終了しました」と言われて一瞬頭に血が上った。

今回の避難で肝に銘じたことは、「自分の命は誰も守ってくれない」ということだろう。
特に1人で行動しているときはそうだ。

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これはそんな疲れて座った時に撮った写真。既に夜8時を過ぎていた。
iPhoneで情報収集をするも、公共交通機関が動いたという情報がない。

ホテルのロビーに行くと、大型テレビはどういうわけかディズニーランドの宣伝ビデオを
エンドレスで流している。「どうしてテレビを放送しないのか」とホテルのフロントに詰め寄っても
「すいません。これはテレビは映せないんです。」と言われるだけ。この非常時に延々とディズ
ニーランドの楽しさを強調したビデオだけが意味もなく流れる。

ちなみにここは、「ワ○ン○ンホテル」だ。ここのチェーンには2度と泊まらないと思う。

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これがそのとき撮ったもの。写っているのはアトラクションを担当している人のインタビュー
だったかな。あと、勝手に携帯の充電をしている人がいることがわかる。このとき私は重大な
ミスをしていた。エネループモバイルブースターは持っていたのに、USBACアダプターを
持ってきていなかったのだ。だから、iPhoneもワンセグ携帯も充電できなかった。

夜10時に一部の地下鉄が運転再開という情報をワンセグで得た。
メトロや都営のホームページは混雑していてほとんどつながらないが、ここを出てホテルに向かう
ことを決めた。でも、ホテルにまずは連絡入れないと・・・
当然のことながら、電話は全然つながらない。公衆電話はつながるということで、ホテルの公衆電話
を目指すが、なんとKDDIの専用カードでしかかからない公衆電話。しかもカードは1000円もする。
おまけに、こんな公衆電話見たことないから、次に使う場面があるかどうかもわからない。困ったまま
順番待ちをしていたら、前後に並んでいる人と声を掛け合うようになり、結局前の年配の女性がカード
を貸してくれた。実は、カードを持っていればこのとき無料でかけられたのだ。でもカードがないと電話
をかけることができない、というちょっと矛盾したことになっていた。ほんとに助かった。

それから、文庫本の地図やiPhoneの地図を見ながら歩く。夜10時を過ぎて不安があったので、
全然知らないサラリーマン2人に声をかけて「よく地理がわからないのでついていってもいいですか」
と話しかけて一緒に歩いた。

その2人は江東区の新木場から歩いてきたらしい。新木場付近は液状化で靴が泥だらけになっていた。
2時間ぐらい歩いて運転を再開していた地下鉄の駅までたどり着いた。

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これが歩いている途中の写真。

見ての通り、車は大渋滞。しかし、高層ビルの明かりが勇気づけてくれた。東京は死んでない。
そう思いながら歩いた。
地下鉄の駅で別れた2人は、途中からまた歩いて練馬区の自宅まで帰るとのこと。
「夜中の2時半まで付きそうだから良かった」などと言っていた。

私は夜12時半ぐらいにホテルに着いた。
もうクタクタだけど、ホテルも食事がない。

また、エレベーターが止まっていて、11階まで疲れた体をひきずって登った。
夜中も余震があり、しかも緊急地震速報が何度も誤報するので一睡もできなかった。
助かったのは、USBコンセントがベッドの枕元にあったことだ。おかげでiPhoneも携帯も満充電できたし、
エネループも充電できた。

翌日も飛行機に乗るまで一波乱も二波乱もあったが、なんとか家にたどり着いた。


きっと一生忘れない記憶になりそうだ。

それにしても、原発問題といい、復興が進まない問題といい、日本の政府は何をしているのだろう。
地震発生直後に何が話し合われたかの議事録もないのというのだから、国の体をなしているのか、と
言いたくなる。

この先、東南海連動地震や札幌で直下型地震があったらどうなるか。考えただけでゾッとする。

17年前、阪神・淡路大震災で避難所を訪れて取材したことがあるので、地震のこととなると、いろいろ
書きたくなる。
by koppel055 | 2012-03-11 20:20 | その他 | Comments(0)

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